起業して5年以内に80パーセントが廃業し、残った20パーセントの8割が10年以内に廃業するのはビジネスの世界の常識です。

言い換えると起業した会社の10年の生存率はわずか4パーセントという厳しい結果です。

これまで安定していると思われていた、保険診療が適応される接骨院(柔道整復師)の業界があります。

接骨院の業界は社会補償費全体のわずか5パーセントの予算を分け合ってきました。

これまで戦後16校の専門学校が規制緩和によって10倍に増加してしまい厳しい状況が待ち受けているのです。

ざっくり言うとそれまで保険診療の収入が平均で100万円であったものが、やがて10万円になるという厳しい状況になるのが避けられないのです。

マスコミではあまり報道されていませんが、来年(2025年)以降団塊の世代が後期高齢者となり社会保障費の問題を中心に大々的に不安をあおる報道が開始されることが確実です。

そうなると自由診療の世界での生き残りは益々厳しくなり、できるだけ早く対策を講じることが必要になることは明白です。

やがて確実に訪れるそのような時代を生き抜くためにセラピストに必要不可欠な情報とはどのようなものであるかを書いてみます。

私が一流のセラピストを目指して修行を開始したのは19歳でした。

現在66歳ですのでなんと47年前になります。

これから代替医療に興味を持たれてセラピストを目指す方のご参考になればと思い私の経験を書いてみます。

正確には、私が6年間の修業を始めたのは二十歳になる直前の19歳でした。

その当時は全く情報がなく患者として通院していた先生の手技が「長生療術」であったことから横浜の雑色に校舎ができたばかりの「長生学院」専門学校をたずねました。

その当時は大半の先生が最初に「長生学院」を卒業した後に、「柔道整復師」や「鍼灸師」の専門学校をご卒業されたものです。

残念ながら現在と比較すると格段に情報が乏しく、選択の余地も限られていました。

当時長生学院の事務長をされていた先生が「長生療術のもとはカイロプラクティックなんだから君はまだ若いからカイロプラクティックを学べ」というアドバイスに従い荻窪の「山本カイロプラクティック研究所」でお世話になることをきめました。

山本先生はその当時からカイロプラクティックの最も優れた技術である「モーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法)」を実践されていいたカイロプラクティックの先駆者でした。

私は修行を開始する前に様々な代替医療(接骨院、鍼灸院、断食療法など)を試しましたが、その中で最も効果があったのが脊椎矯正でした。

しかしながら効果があったものの症状が完治することはありませんでした。

そこでカイロプラクティックをマスターすることで、自分自身の症状もさらに良くなり同じような経験をし苦しんでいる人のお役に立てるセラピストになれるのではないかと考えました。

ところが私が想像し期待していたモノとは全く違いました。

本当に山本先生と奥様にはよくして下さり今でも感謝しかありません。

アジャストメントの習得以外の経営ノウハウは本当に勉強になりました。

ところが当時の私は、アジャストメント(インパルス、ボデードロップ、リコイルなど)を極めることで頭がいっぱいでした。

先生の考えは「手を作れ」という事がメインでした。

しかしながらアジャストメントは実際に緩和操作がいくらうまくなったとしても到底熟練することはないように思えました。

そこで修行開始からできるだけ早く自分でアルバイトをすることに決めました。

最後の3年間はひと月に200名の患者さんの緩和操作とアジャストを経験しました。

修行開始から5年経過した際にカイロプラクティックの本場であるアメリカのナショナル大学での解剖学とカイロプラクティックの研修旅行を経験しました。

そこで留学生と知り合いになり(故安藤DC  と山根DC)他の先生が経験できない経験と情報を得ました。

そのような経験を経て、アジャストの技術においてはその当時のだれにも負けないという自信を持ちました。

ところが現実には、最高峰のアジャストメントを受けても自分自身の症状はそれ以上良くなることはありませんでした。

ナショナル大学卒のDCだけではなく、パーマー大学卒のDCの施術も受けましたが、結果は同じでした。

開業してからは業績は順調で土地や家も購入し自分の心とは裏腹に平和な日々が続きました。

そこで起きたのが放火による自宅の全焼という出来事でした。

これは神様が「しっかりせい!」と自分に与えた試練だと反省しました。

その翌年に阪神淡路大震災が起こりました。

終戦後に起きた伊勢湾台風(死者五千人)以来何と32年間も千人以上の死者が出る災害が起きなかったことで日本の復興に役立ったとされています。

ところがそれ以来地震の活動期になり様々な災害に見舞われたことは周知の事実です。

日本は災害死が多い国です。

それに対し日本以外の先進国は紛争死が大半です。

日本人は災害で目覚める国といえます。

私自身の経験でいえば、自宅の全焼という災害によって目が覚めたのです。

それから1年後に、現在の究極の手技療法と自信をもっていえる「関節ニュートラル整体」の原型を考案しました。

あれから20年以上が経過して、技術は益々研ぎ澄まされて本当に進化発展させることができました。

現在私は関節の痛みを根本改善し予防することができる健康器具の特許を取得しました。

もう一つの特許が間もなく取得できる予定です。

それが達成した時点で、今までセミナーの個人指導以外で公開していない情報を公開する予定です。

それによってセラピストに必要な情報をどのように学ぶのがベストかがわかることでしょう。

また地方にいるためにセミナーの参加が無理な先生に対しても対策を講じるつもりですのでご期待ください。

人、本、旅による情報収集がこれまでの最適解でした。

そこにユーチューブというこれまでにないツールが誕生しました。

これを生かさない手はありません。

私は自分自身の趣味に始まり、様々な動画を見て表現方法を学びました。

「代替医療解剖」という本をご存じでしょうか?

この本は「代替医療のトリック」という本が文庫化されたものです。

いわば代替医療の歴史を学ぶことができるのでお勧めします。

ホメオパシーの真実。

カイロプラクティックの真実。

鍼療法の真実。

ハーブ療法の真実。

などどれも興味深く読みました。

その中での結論は次のようなものです。

代替医療は病気を改善するほどの効果はほとんどない(厳密なダブルブラインドテストの結果です)

しかしながら効果はないとは言えません。

効果のもとは「プラセボ効果」です。

そしてプラセボ効果が発現するのは、「条件付けと期待値」です。

私が考案した関節ニュートラル整体は病気ではない関節炎の症状の改善に絶大な効果があります。

関節ニュートラル整体は、全身に存在する約206個の骨から構成される約200個の関節の弾力の保守点検システムです。

厳密性、再現性において他の手技療法と比較していただくと、そのすごさが明確に理解できるはずです。

関節の運動は次の3段階です。

1,自動運動

2、たわみ運動

3、遊び運動

この3段階の保守点検が関節ニュートラル整体です。

8方向の関節の弾力の検査と調整がシステム化されている世界唯一の方法です。

関節の検査と調整そして再発予防のリハビリテーションが一体化されているテクニックがこれまで存在していませんでした。

私は今から30年ほど前に関節ニュートラル整体を発明し、長い年月をかけて進化発展させてまいりました。

正直に申し上げて、これからこの技術をマスターしようとするセラピストは幸運です。

なぜならテクニックや学ぶためのドリルも完成していますし、何よりもマスターした先輩が大勢いるので安心です。

ITが進化した現代社会は「比較、納得、購入」の時代です。

今こそ時代を先取りした「関節ニュートラル整体」を共に学びましょう!