関節の痛みを改善するプロを目指そう!東京都文京区整体セミナー

 

 

 

関節の痛みの原因は幼児期の転倒によるものが多いのです。

その理由は心の強さに対してあまりも弱い体にあります。

私は2匹の兄弟猫を飼っています。

名前は栗子と銀二朗です。

栗子は何と生まれて3か月も満たないうちにうちの壁を垂直に上ることができました。

それに対し人間はどうでしょうか?

生後3か月ではやっと首が座るといったところでしょう。

もちろん自力で歩行することすらできません。

人間はその弱さゆえに自分を守るために両親の愛情を一心に集めるすべを駆使するといえます。

子供を持つ親ならわかりますが、どんな子供も甘やかされて育つのです。

体の弱い人間は、共同体を作りその共同体に帰属し貢献することで安心感を得られるのです。

最近読んだ「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」(岸見一朗、古賀史健)を読んで本当に感動しまた考えさせられました。

自己啓発の源流「アドラー」の教えという副題がついています。

日常生活の上で、アドラーの教えをかみしめて、どんなに困難だとしても実践していこうと思いました。

閑話休題。

北海道生まれの私は、3歳の時にバイクにひかれ頭がい骨骨折と左下肢のやけどを負い入院する羽目にあいました。

次に鹿児島で16歳の時に柔道の授業で乱取りをして尾骨を強打し、腰椎と頚椎の圧迫骨折と左肩の腱板断裂という重症を負いました。

(その前にも器械体操の跳馬で失敗して右手の小指の骨折と床運動で右足首の骨折を経験しています。)

その中でも特に2回の事故が原因と思われますが、17歳から40歳まで病院では原因不明(最も骨折や捻挫などが原因ですが)と診断されるしびれによって年に2回寝たきりに近くなる症状に悩まされました。

まさか16歳の時に起きた事故が人生を変えることになるとは思いもよりませんでした。

このような理由で程度の差こそあれ、腰痛をはじめ肩こりや背中の痛み首の痛み、手足の関節の痛みを訴える患者さんは私と同じように尾骨を強打したことが原因で後から症状が出るのではないかという疑問を抱いた次第です。

事実患者さんの尾骨や仙骨を触診すると、半分以上の方に骨の変形が確認で来るのです。

しかもほとんどの患者さんは転倒の事実を記憶していません。

したがって仙骨や尾骨が完全に骨化する前でしかも幼児期健忘症がある4歳以前に転倒しているのではないかと考えられるのです。

このような経験をした私ですが、外傷性関節炎による手足のしびれを解決するためには、自分で新しい技術を考案する以外に道はありませんでした。

縁があってカイロプラクティックの最も効果的な技術であるモーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法)を学ぶことになり、6年間のインターン生活を経験しました。

当時の患者さんにはある程度効果があったテクニックでしたが、肝心の自分の症状は相変わらず全くよくなりませんでした。

やがて茨城県牛久市で開業し、仕事も順調になり自宅を立てることができました。

そこで自宅が放火され全焼するという災難に見舞われたのでした。

阪神淡路大震災の前年でしたので25年前のことです。

このようなことがきっかけで、「すべての不幸の原因は自分自身にある。放火犯を恨むのではなく自分自身を変えることで不幸に苦しむ人を救う事に専念しよう。」という気持ちになったのです。

それから1年後に誕生したのが現在の関節ニュートラル整体の原型でした。

その後現在に至るまで、改良と進化を繰り返しました。

一例を挙げると、最初は仙腸関節の調整は手のひらの骨で行っていましたが、現在では人差し指の第2関節で背面から行い、その後側臥位で腹側から主に中指で行い、最後に仰臥位で中指を用いて仕上げています。

こうすることで可動性減少症はもちろん、可動性亢進症においてもほぼ100パーセント対応できるようになったのです。

脊椎や四肢の関節操作においても当時と比較にすらならないほど進化しているのです。

またやがて学校を作る際に指導者になることを念頭に約30名のセラピストを育成し現在でも指導を継続しています。

私が行っていることは、例えると山を垂直に上っているようなものでした。

少しでも怠けたり気が緩むとたちまち落下して死んでしまう危険と隣り合わせでした。

代替医療のセラピストとして所業を開始したのは19歳の時でした。

私も来年4月で65歳になり高齢者になります。

少なくとも80歳までは現役で仕事をしたいと思います。

もちろん仕事を通じて自分とかかわるすべての人に貢献できるように努力を惜しまず頑張るだけです。

皆様は私が経験した厳しい修行は必要ありません。

また明らかに無駄と分かる経験や設備投資もする必要はないのです。

関節ニュートラル整体の技術をマスターし、たとえどんな田舎でもある程度の人口さえあれば十分に仕事は成り立ちます。

家賃が2万円台の家で専用ベッド2台と簡単な温熱療法の機械と冷却用の冷凍庫さえあれば十分です。

港区高輪、中央区銀座、京橋、文京区水道橋などに分院を構え、同時に茨城県牛久市で開業した私ですが、そのほとんどは無駄な出費でした。

しかしながら何事も経験しないではわかりません。

ところがこの20年以上はデフレです。

景気の良かったインフレ時とは違い、失敗したらやり直すことは困難な時代です。

この時代にマッチした技術を皆様にご提供するのが今後の私の課題です。