間接ニュートラル整体は3本の柱から構成されています。

それは、

1、手技療法。

2、リハビリテーション。

3、筋力トレーニングです。

人生を90年と仮定します。

30歳までは全盛期ですのでほとんどの方は健康に不安を感じる事はありません。

そこから60歳までの間には腰痛、背中の痛み、首の痛み,手足の関節の痛み(股関節、ひざ関節,足関節、肩関節、ひじ関節、手関節)を経験する方が60パーセントを超え始めます。

やがてどんなに頑健な体をお持ちの方でも関節の痛みや内臓の不具合を感じるようになるのが65歳以上の年齢層です。

その中でも特に75歳以上になると、よほど健康に気を使っている方でも関節の痛みを経験することになるのです。

大切な事は、やがて誰でも限界点に到達するという現実を認め、体を魂の乗り船と考え大切に手入れをすることなのです。

関節ニュートラル整体を学んだセラピストはいわば体の修理屋さんです。

現在の死亡原因は次のような数です。

1、悪性腫瘍(30万人)。

2、心臓病(19万人)。

3、肺炎(12万人)。

4、脳血管疾患(10万人)。

いずれも高齢者に多く見られる疾患が原因です。

いずれの疾患も効果的な予防法はわかっていますが、ただ一つ年齢を重ねたことで起きるいわゆる経年劣化に対しての確実な決め手は残念ながら今のところ確立されていません。

筋肉や神経、血管などのいわゆる軟部組織は3か月で大部分が入れ替わります。

それに対し骨は2年で入れ替わるのです。

しかしながらいったん損傷してしまうと,靭帯や軟骨などの組織など、再生には限界があるのです。

今後医学の進歩は限界を極め、現在では改善できない遺伝的な要素が原因の疾患も治癒するようになることでしょう。

私は6年のインターン生活時代にカイロプラクティックのっもとも効果的な手技であるモーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法)をマスターしました。

早朝から夜まで働いた以外にアルバイトで患者さんを診ることができました。

その数は、修業時代の4年目になると,ひと月に200名を下ることはありませんでした。

それも人口が増加する時代であったからこそできたのです。

おそらくその当時はどの職業も頑張れば儲かったはずです。

私の信念は「何事も頭ごなしに否定はしないが常に疑問を持つ」ということです。

私がカイロプラクティックを学んだ今から約42年前は本当に情報がない時代でした。

カイロプラクティックに関する本もとても少なく、専門書は「カイロプラクティックの理論、応用、実技」科学新聞社刊ぐらいのものでした。

当時は、静止した状態での脊椎の触診がメインの時代でした。

振り返ってみると、その当時にモーションパルペーション&マニュピュレーション(以下MP と略します)に出会えたのは本当に幸運でした。

当時お世話になった荻窪の山本先生も私の母と同じ昭和9年生まれですので現在84歳になられていると思います。

先生の治療の技術は一流でした。

紛れもなくその当時の日本のトップクラスでした。

日本にカイロプラクティックが伝わったのは大正時代だと言われています。

山本先生は、日本カイロプラクティック総連盟の3代目の会長であった竹谷内米男先生のもとで10年以上修業した方です。

したがって歴史を見ると私はその方の直系の弟子ということになるのです。

しかしながら私はその当時の最高のレベルでは到底満足はできませんでした。

その理由は自分自身の体が改善しなかったからです。

北海道で3歳の時に遭遇したバイク事故による頭蓋骨骨折。

鹿児島で16歳の時に柔道の乱取りで起きた頸椎と腰椎の圧迫骨折と左肩の腱板断裂。

この大事故を含め全身で合計5か所の骨折を経験して起きた脊柱管狭窄症の後遺症。

これを自ら刻する必要性から誕生したのが,PNF整体でした。

それをさらに進化発展したのが現在の関節ニュートラル整体そして腰痛肩こりケア体操なのです。

関節ニュートラル整体をマスターしたセラピストは、手技療法,リハビリテーション、筋力トレーニングを指導することができます。

この3種類の技術を駆使することで慢性痛に対する有効率はほぼ100パーセントを維持できるのです。

後悔は2種類あります。

それはやらなくて後悔することと、やって後悔することです。

何事もやってみなくては始まりません。

あなたがこの技術をマスターすることができることができるかどうかもやってみなくては始まらないのです。

回復が可能でありながらできないでいる患者さんを、確実に救うことができる技術をご一緒に学んでみませんか?