超高齢化社会を生きるセラピストにとって大切なことは、手技療法とリハビリテーションについての知識と技術を持つことです。
世界の平均寿命が30歳であった時代の技術は、72歳を超える現代社会で通用する部分は少ないのです。
ましてや平均寿命が80歳を超える現在の日本ではアジャストメント(瞬間的な力を用いる短く鋭い矯正法)は有効でないばかりではなく危険です。
頸椎に対するアジャストメントが危険であるという事実は主に40歳以上に当てはまる現実と考えられています。
その理由は頸動脈にプラークがたまり始めるのがこの年齢以降であることがその根拠であると想像できます。
ところがごくまれではあるにしても、20代でも死亡事故は起きているのです。
カイロプラクティックのアジャストメントによる事故は減少しています。
その理由は、保険会社が頸椎や腰椎のヘルニアあるいは脊柱管狭窄症が認めらるケースにおいて事故が起きた場合、保険金を支払わないという警告を与えているからです。
私が最初にカイロプラクティックを学んだ当時はインターンをしないで開業するセラピストはほとんどいませんでした。
したがって様々な経験を積んでいるため無理なスラストによる事故が少なかったのは事実です。
しかしながら、今から43年前は現在のように65歳以上が28パーセントではなかったのです。
自慢になるかもしれませんが、私はいわゆるアジャストメント(リコイル,ボデイドロップ、インパルス)が得意なタイプでした。
私が修業したのは東京都の杉並区にある荻窪です。
6年の商業を経て開業したのは、今から36年前の茨城県の牛久市です。
その当時の患者さんは専業農家が半分でした。
終戦後の日本は第一次産業(農林水産業)が90パーセントでした。
ところが現在の日本はサービス業が90パーセントを超えるようになりました。
私が開業した当時の牛久市は日経新聞で日本で最も発展する市といわれました。
牛久町から牛久市になった開業当初人口は4万人でした。
それが現在では8万4千人になりました。
これからは人口が減少することがあっても増えることはないでしょう。
「デフレの正体」藻谷浩介著にあるようにデフレの原因は人口減少と人口比率にあるのです。
1858年に浦賀にペリーが来てから正式に朝廷が開国を認めたのが12年後の1865年。
この年が日本が近代化に向かった年です。
それから40年後の1905年に当時世界ナンバー5のロシアに勝利するまでになりました(日露戦争)。
それは岩倉具視使節団が、なんと2年の歳月をかけてヨーロッパの文化を吸収したからにほかなりません。
しかしながらそんなことも忘れち調子に乗って敗戦を迎えたのがその40年後の1945年。
それから世界第2位の経済大国になるまでになったものの、またまたバブル崩壊したのがその40年後の1985年でした。
したがって2025年には再び上昇機運になると考えられますが、これまでの歴史が繰り返したように、熱狂的になって破滅しないようにしなければならないのです。
世界史を見ても文明の衰退の波は800年後とに起きているのがわかります。
日本史【近現代史)を見ると経済の趨勢の波は40年ごとに起きているのがわかるのです。
私がセラピストになって42年。
この様に景気の変動を経験し、超高齢化社会に適応するための技術をあらかじめ開発した人間はおそらく世界にいないと思います。
この様な理由で、セラピストに役立つ知識と技術を学べる関節ニュートラル整体普及協会のセミナーは、これからの大変な時代を生き抜くことができる内容だと確信しています。