私事で恐縮ですが昨年末に父親を亡くしました。

ある程度覚悟はしていましたが、師走に入っての出来事でしたので、新年のご挨拶を失礼した事をこの場をお借りしてお詫び申し上げます。

父の介護を通じて、自分自身でが考案した関節ニュートラルのすごさを改めて再確認しました。

8月に救急搬送されたときは、全身がんであることが確認されました。

2年前から認知症を発症し、MRIの画像診断で、記憶の中枢である海馬の萎縮が認められました。

中村仁一氏の「大王住したければ医療とかかわるな」や近藤誠氏の「がん放置治療法の勧め」「成人病の真実」に始まりほとんどの書籍を通して知識を得ていたのでうろたえることはありませんでした。

しかしながら最も大変なことは全くと言っていいほど知識がない母をはじめとする家族への対応でした。

海馬の博士と言われる東京大学薬学部教授の池谷裕二氏の本を読んでいたことも救われました。

はっきり言えることは、がんや認知症の予防はできるということです。

しかしながら現実には、治療法はまだ確立されていないのです。

したがって、がんが治るとか認知症が治るという内容の本は、患者さんに一時的な夢を与えているにすぎないというのがが現実なのです。

遅くとも50歳の時点でMRI の画像診断を受けて、脳にアミロイドベーターがたまっていないことが確認できたら、認知症の予防改善に確実性がある次のようなことを実行することを進める学者が多いのです。

それは、DHA の摂取(サプリメントでも効果があります)、クルクミンが含まれるカレーを食べる、体重に30分の一のぱーACMパイウオーターを飲む、空腹時に1時間体を動かすなどです。

がん予防の10か条と言うのがあります。

日本人の認知症はがん予防の10か条と重なるのです。

その中で述べられていないことが、年を取らないということです。

65歳から75歳までは10人に1人が認知症です。

75歳から80歳になると3人に1人です。

したがって私の父が88歳で認知症を発症したのは仕方ない事なのです。

短期間に5か所の医療機関を渡り歩いた経験から認知症の介護、がんのケアーについて知識を得ることができました。

何事も比較、納得、購入というプロセスが大切なことを再認識しました。

それにしても、年を取ってから本を読まなかった賭したら自分自身どうなっていたかと思うとぞっとします。

何事も経験したことは不安が和らぐものです。

歴史(縦の思考)や地理(横の思考)を学ぶことで、ある事象に人類がどのように対応したかを経験から学ぶことができるのです。

またほかの国がどのように対応しているかを経験から学ぶことができるのです。

お陰さまで最愛の父に臨終に至る経験を通して、第三者の目で見ると言うことができました。

様々な知識があったおかげで、冷静に対応することができたのです。

私は19歳の時に仏陀の教えである正法に出会いました。

3歳の時に経験した交通事故による頭がい骨骨折をはじめとする合計5か所の骨折による後遺症に悩まされました。

骨折によって生じた後遺症を経験する必要性から関節ニュートラル整体を考案しました。

この中のニュートラルという名前は仏陀の説いた「八正道と中道」が由来です。

私は19歳の時から完全に独立しました。

現在及川治療院がある茨城県牛久市の家と土地も自分で購入しました。

私は涙もろい性分です。

しかし父の介護と治療に関しては本当に冷静に対応出来ました。

右往左往する家族を横において、他人事のように対応できたことは本当に良かったのです。

父は大和ハウス工業の竜ケ崎工場の責任者として退職しました。

しかしながら他力信仰を望まなかった父の遺志を汲んで、葬儀は家族葬で行いました。

葬儀には僧侶も呼ばず遺体は散骨することにしました。

葬儀の際に私が心の教えとして大切にしている「心行」を読み上げました。

これは2500年以上前に、仏陀が命がけで体得した教えです。

当時の学識のない民衆でもわかる言葉で開設された教えですが、中国語に当て字されている為にその意味が分かる方はいないのです。

心行を読みだしてからなぜか涙があふれて止まりませんでした。

その場にいた私の兄弟や家族さえも心行を聞いたの初めてでした。

その場にいた家族が感動のため動けなくなるほどでした。

やはり神霊の世界を極めなくては一流にはなれないということも改めて感じました。

私は如何なる宗教も信じてはいません。

しかしながらイエス、モーゼ、仏陀の説いた正法に触れたことは事実です。

やはりそれを含めて技術を指導しなければいけないということなのです。

関節ニュートラル整体を極めているからこそ全身がんの父をケアーできたのです。

臨終の前日まで環椎後頭関節徒頸椎椎間関節の調整を行って父の苦痛を和らげることができました。ーー

縁があってであった弟子たちに、父の死を通して経験し再確認した本当のことを伝える時が来たと感じています。