東京整体 学校

月日の経つのは早いもので、私の臨床経験は今年で43年になりました。

手技療法とリハビリテーションの応用発展形である関節ニュートラル整体を開発した経緯について書いてみます。

私が最初に学んだ技術は、カイロプラクティックの最も優れた技術であるモーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法)です。

これは当時日本と同じくカイロプラクティックが法制化されていなかったベルギー出身のドクタージレーによって考案された技術です。

私は今から42年前に杉並区荻窪の山本先生の元で6年間修業させていただいてこの技術をマスターしました。

といってもその当時はカイロプラクティックの技術について書かれた本はとても少なく、現在のように情報があふれている時代ではありませんでした。

インターネットが普及した現在は、(比較、納得、購入)の時代といえます。

ところが当時は情報が全くないといってもよい時代でした。

したがって与えられた仕事を一心腐乱にやる以外に道はなかったのでした。

正直言いますと、触診して背骨のゆがみが手に取るようにわかるときが来るのだろうかと不安な毎日でした。

私は長生学園専門学校の出身です。

当時の長生療術(脊椎矯正、精神療法、プラーナ療法)の中で脊椎矯正について書いてみます。

検査については、肩甲骨や骨盤の高さ、脊椎のゆがみ脚長差などを解剖学の教科書に書いてあるように左右対称であるべきという思考に基づいたものでした。

しかしながら、現実には左右対称な人間はほとんど存在しないといってよいのです。

入学当初から、私は疑問の連続の毎日を過ごしました。

考えてみると、長生療術は浄土真宗の長生派の純宏法師という僧侶が関節由来の病気を治すことを目的に開発されたものです。

当時の平均寿命は30歳でした。

したがって70歳(古希)に到達する人間は稀だったのです。

また総人口の90パーセントは第一次産業(農林水産業)でした。

したがって瞬間的なショートでシャープな力を用いるアジャストメントが有効だったのです。

しかしながら私のように、交通事故やねんざや骨折を5か所も経験している身体(可動性亢進症)や65歳以上の高齢者には不適だったのです。

また前述したように、本来曲がっている背骨や骨盤、手足の関節を元通りにそろえるという発想では到底納得できなかったのです。

MPはドクタージレー氏によって発明され、ドクタージョンフェイ氏によってさらに学問的に発展された技術です。

ところが私の修業時代は、1冊の本もありませんのでまさに体で覚える以外の方法はありませんでした。

(モーションパルペーション&マニュピュレーション(動的触診法と手技療法、以下MPと省略します)の動画を見たのは今から35年くらい前のことでした。)

MPだけを頼りに死に物狂いで修行を終えました。

やがてアジャストメントに関してはおそらく世界のトップクラスに到達しているというまでになりました。(修業時代の6年目にシカゴにあるナショナル大学に解剖学とカイロプラクティックの研修旅行に行かせていただいて本場のMPを学ぶ山根DCと安藤DC(故人)と知り合いになり進化したMPを学ぶことができました。

MPを極めたのに、どうしてアジャストメントで自分の全身のしびれが改善しないのだろうかという現実が常に自分の頭にありました。

それを払しょくするきっかけになったのは、なんと法隆寺3代目棟梁であった故西岡常一氏の書いた「木の命木の心」草思社刊、でした。

この本を古本屋で手にした衝撃は今でも鮮明に覚えています。

人体はまさに不揃いな部材(約206個の骨)が総もちで支えあっている構造なのです。

それからしばらくして、放火による自宅の全焼火災にあい、私はまさに目がさめたのでした。

それまで蓄えてきた知識の技術がまさに爆発したかのように現在の関節ニュートラル整体が誕生したのです。

現在の原型ができるまでにはそう時間はかかりませんでした。

しかしながら、PNF(固有受容性神経筋促通手技)を用いて身体のゆがみを検証しより緻密な現在の関節ニュートラルの手技が完成するにはそれから気の遠くなるような長い時間を要したのです。

学習法の体系や実技を習得するためのドリルや指導法のマニュアルが完成したのはこの1、2年といえるでしょう。

セラピストに必要不可欠な知識や教養を身に着けるための読書法までわかってきたのです。

魚を与えるのではなく魚の採り方を教えることが大切なのです。

私は人様のお役に立てる関節ニュートラル整体という仕事を作った人間です。

お金を与えるのでは人助けは一時的になります。

しかしながら仕事を覚えれば生涯生きてゆけるのです。

1854年(安政元年)の翌年から3年がかりで東南海地震広村堤防を作った「濱口悟陵氏」の遺徳のように、私も後世の人に続く仕事ができていることを神仏に感謝申し上げます。

我々は災害大国の日本に住む以上、助け合いの精神がなくてはこの先生きていけないのです。

私は現在もそしてこれからも、そのような志を持ったセラピストの育成に全力を傾注したいのです。

回復することが可能でありながらそれができないでいる患者さんを救いたい!

このような気持ちがある方は、安心安全で、しかも確実性、再現性のある関節ニュートラル整体を学びましょう!